永遠の愛〜有希とともに〜

控訴審(第二審) 第二回公判
平成18年11月13日(月)午後3時より 名古屋高等裁判所 901号法廷にて控訴審、第二回公判が開かれました。

 多くの方から寄せられた署名用紙を、検察官の机横に積み上げ、時間予定通りに裁判が始まりました。

 
  証人質問 

まず始めに、青信号で交差点に進入して、被告の車にぶつけられたため、横転し、制御不能となった結果、有希を含む歩行者を跳ねてしまった運転手さんの妻の証人尋問が始まりました。

  検察官から、事故後の被告の対応や、ご主人のTさん(青信号のドライバー)の当時の様子や、現在の家族の状況などの質問がされました。
  その質問の中で、事故後の被告の様子が炙り出されていました。
簡単に以下に箇条書きします。
1.約5ヶ月間、被告は赤信号とは認めず、「Tさんが『赤信号』である」と、Tさんにも言っていた。
2.地検に呼び出された二回目に、やっと自分が『赤信号』であると認めたが、いまだに、直接Tさんへの謝罪はしていない。
3.Tさんは、自分が『青信号』を確信していても、事故後の被告の言動や行動に、警察が真実を見 抜いてくれるか不安であり、苦悩の日々をすごしていた。
4.被告が『赤信号』を認めなかった約5ヶ月もの間、その重圧や、不安、などのストレスから精神 に大きな負担がかかり、現在にいたるまで、心療内科に通院中である.。
5.また、家族やお子さんの環境にも支障をきたし、家族にも多くの負担が強いられている。
6.今現在でも、周囲の目が気になり、自分が被害者だと思われているのではとの不安が払拭できない。
7.最後に検察から、「被告に何か申し述べたい事はありませんか?」の質問に、
  「今後、佐藤さんや、Yさん(重傷を負った有希のお友達)ご家族が、被告を許すような事があっても、私は絶対に許しません。一生、恨みます」
と、とても大きく激しい口調で、被告をにらみつけて述べられました。

その後、被告弁護人からの証人質問となりました。

被告弁護人からは、信号の状況や、事故後の対応についての反対質問は、ひとつもありませんでした。
  結局、保険請求がいくらなされているのか知っているのか?などと、保険に関する質問ばかりでした。

 証人は(Tさんの奥さん)それらのことは、ほとんど分からないようで「知りません」と返答されていました。
(当然、お互いの弁護士が代理人として話しているでしょうから、知らなくて当然だと思います。被告弁護人は反対尋問としての質問要綱が無かったので、苦し紛れに質問したという印象でした)

被告人尋問

 検察官から、被告に質問がされました。
被告の発言や、その様子などを簡単に以下に箇条書きします。

1.ボランティア(自転車の前にパトロール中との張り紙をして走ること)の活動は続けている。その写真が数十枚、証拠として提出しているが、検察官がわざわざ写真を誰かが写しているのかと質問しました。その写真は毎回、父親が写しているとの返答。
2.また、父親が仕事を休めない場合は、どうしているかの質問には、その場合は母親が写していると返答。全ての写真は、それら撮影者に向かって走っているおのであり、ボランティアをそのように証拠提出する事に疑問を投げかけました。(写真撮影の質問では、傍聴席からは、呆れた溜息と失笑が漏れていました。)
3.また、ボランティアの有無をこのように証拠提出することについての疑問を投げかけた検事に対して、「私は出したくは無かった」と返答しました。
検事さんも呆れていましたが、裁判官ですら質問の中で「自分が提出したくないものを出すということは、普通では考えられないことです」と、個人的見解であることを断った上で述べていました。
4.事故後の調書に誤りがあるとのことで、父親とともに訪れた警察署で実況見聞調書を作成した件について検事さんより質問がありました。
  被告は、父親と訪れた二度目の調書では、自分が青である事をはっきりと伝え、Tさんが赤であるから、もっとよく調べて欲しいとの発言が記されています。また、『青信号』を確認した位置も何メートルとはっきり発言しています。

それらについて質問が及ぶと、警察に「そうですね。そういうことですね」と言われて返事をしただけで、自分では発言していないと答えました。

それについて、検事さんは、「調書は必ず読み上げて聞かせ、間違いかどうかの確認をしてから、署名、捺印するものですが、そうでは無かったのですか?」と、質問されました。被告は「はい」と答えました。
  ということは、被告の発言であるでしょ。というような質問のやりとりを何度もしました。
検事さんも、裁判官の最後の質問も、「いいですか」と、小さな子供に説明するように質問をしていました。(傍聴席では呆れた声が漏れていました)

結果的に感じた事は、被告は、とにかく言い訳だけを繰り返していたといった印象でした。
・自分の意志で「青信号」を言い張ったわけではない。
・自分の意志ではないボランティアの証拠写真提出がされている。


そして、時々口にする言葉に、『本音』が見え隠れしていました。

親族達が怒り心頭だった言葉は、何かの質問の際に、
「 こんな事故に遭ってしまって」と言い、すぐに「こんな事故を起こしてしまって」と言い直したのです。
結局、本音は「事故に遭った」という言葉なのでしょう。
自らが、赤信号を無視したから起こった重大な事故との思いより、『事故に遭ってしまった』との思いが、未だに強いのだと思えました。そういった心のもち方が、今回の裁判で『人のせいにして、いいわけばかり』といった印象を、私たちに与えたものだと思います。

意見陳述で主人が言いましたが、被告は一審の裁判で執行猶予の判決が決まり、控訴審が決定するまでの、約一年の間、一度も月命日に訪れた事も、電話連絡もありませんでした。
6月の月命日は判決後のたった五日後でしたし、一審の裁判官が判決時に、謝罪をしなさいとの言葉がけがありましたので、連絡があるものだと思っていました。
 しかし、裁判官の声も 届かなかった様子で、連絡すらなかったのです。
 ところが、その週間後、控訴審が開かれる事が決まるや否や、月命日に訪れたいとの連絡が始めて入り、7月と8月、9月の17日と、三回月命日に訪れました。
  そして、10月の月命日には、控訴審が開かれるにも関わらず連絡が無いので不思議に思っていたのですが、検事さんから、被告の提出書類の中にお参りの有無が詳細にかかれているものがあると聞きました。
○月○日現場で手を合わせる。○月○日献花する。○月○日お参りに訪問する。などのことが詳細に明記されていたようです。  そして、その末尾に10月5日現在とあったのです。

  私と主人は、「ああ、そういうことだったのでね」と、思い切り納得したのです。

 控訴審が始まるまでの三回は、証拠提出に影響するのでお参りが必要であったけれども、10月17日のお参りは、もう書類上必要がなかったのです。(意見陳述でも述べました)

 そして、これらの気持ちを11月13日に意見陳述で述べましたが、そのたった四日後の11月17日、有希の月命日には、なんの連絡もありませんでした。
  遺族の気持ちを伝えても、被告の心には届かないのだと思うと本当に残念です。
有希を喪ってから16回の月命日を数えましたが、被告は、そのうちのたったの三回しか訪れていないのです。それも、情状酌量のためなのだと思うと、本当に残念です。
  せめて、前回の意見陳述を聞いたのであれば、四日後の命日にはなんらかの連絡を入り、誠意を見せて欲しいと願いましたが、それも無駄なことだったようです。

 あまりにも哀しすぎると思いました。

 ほんの少しでも、被告の反省の気持ちや、謝罪の心が伝われば、私たちは、実刑を求めるようなことはしなかったと思います。
  真に反省があれば、実刑など必要が無いと思うからです。
結局、被告がお参りに来たのは、控訴審が決まってから、証拠書類の作成までの3回だけでした。
本当に残念です。

  ★裁判書類の閲覧ができましたら、さらに詳しく、正しい内容を掲載したいと考えています。
  

次回、判決公判が、12月11日(月)午後1時30分から、名古屋高等裁判所901号法廷にて開かれます。