平成 18 年 11 月 13 日
名古屋高等裁判所 裁判官殿
佐藤 智博
有希の父親として、意見陳述の機会を作っていただき、誠にありがとうございます。
事故一週間前に購入した、この水筒と、携帯電話は、大きな衝撃により、このように無残な形となってしまいました。
有希の、受けた痛み、無念さとともに、陳述させていただきたいと思い、このようないでたちになりましたこと、お許しください。
有希と私は、わずか八日ほどしか誕生日が違わなかったこともあり、毎年合同でお祝いをしてきました。
しかし、今年の三月は、有希の 13 歳の誕生日を、一緒に向かえてやることができなくて、本当に無念で、胸が張り裂けそうでした。
生前の有希は、とても心根がやさしくて、誰にでも分け隔てなく接する事のできる娘でした。
事故の二週間ほど前に、愛地球博に一緒に行ったのですが、中学生になったにもかかわらず、寄り添って、手をつないで歩いてくれました。その温かいぬくもりは、今でもしっかりと、この手に残っています。
事故の前日も、私たちが仕事から遅く帰ったにもかかわらず、起きて待っていてくれました。三人の娘達と少しふざけながら、コミュニケーションをとったあと、いつものように、有希ともハグをして休みました。
それが、生きている有希との最後のふれあいになってしまおうとは、思いもよりませんでした。
今では、そのニコニコした笑顔を見られるのは、写真の中だけです。毎朝、仏壇の前で、その写真を見ると、涙がこみ上げてきます。
1 年 4 ヶ月がたった今でも、悲しみが癒えることはありません。
有希は将来、保母さんになるのを夢見ていました。
そんな有希を、 12 年 4 ヶ月で奪った、服部被告に対して、父親としての遺族感情を述べたいと思います。
事故後の理不尽な被告の態度により、私達遺族が苦悩の日々を過ごした事は、一審の意見陳述で、家内がお伝えしておりますので、私は一審判決後の被告の行動について、述べさせていただきます。
6 月 12 日、一審で判決の際、裁判官が、「今後、被害者や遺族への謝罪をしていくように」と、被告に言いました。被告は裁判中には、私達が聞いた事もなかった大きな声で「はい」と答えていましたが、たった 5 日後の月命日には、それまでと変わらず、何の連絡もしてきませんでした。
しかし、控訴審が決まった途端に、署名、押印した手紙が送られてきました。謝罪と、一周忌にお参りしたいという内容でしたが、一審で証拠提出していたボランティアの写真同様、被告からは、全く純粋な気持ちでの謝罪は感じられませんでした。
遺族としては、何故有希が亡くなったのか、あの日、何が起きたのかの真実を、知りたいと思っています。
しかし、一審でも被告が何故赤信号で進入したかは、曖昧なままでした。被告がお参りに来た際に、真実を伝えて欲しく、質問しようとしました。
ですが、被告は「裁判中なので何も答えられない」と、断りました。
「ああ、有希の前でも本当のことが話せないのか」遺族への思いよりも、裁判対策が優先なのだと思いました。
そこで、家内が「あなたは手紙に、いつも署名、押印するのですか?まるで裁判所に証拠提出することを、意識しているとしか思えませんが」と尋ねました。
被告は、弁護士の指示での書式であり、押印したと答えました。
やはり、どこまでいっても裁判対策なのだと思いました。
なんの落ち度もない有希の命を奪った事を考えれば、自ら、厳罰を望んでもおかしくないとさえ思います。
昨年 11 月 1 日、私達遺族に対して被告は、初めて事故の経緯を詳細に語りました。事故の交差点、信号機5m手前で、『青信号』を確認してブレーキペダルから、アクセルペダルに踏み変えて加速したと、言いました。何度も『青信号』で進入したと言ったのです。
しかし、刑事裁判が始まった事により、被告の、その証言は、後からこじつけた嘘だと、私達は、確信していました。
ところが、被告は今年、 9 月の月命日に訪れた時、その説明に「嘘は言っていない」と言いました。私達は、記憶が曖昧になるのを防ぐため、 11 月 1 日の被告との会話を録音していました。
再び何度、テープを聞き返しても、『青信号』を確認したとはっきり言っています。
事故後すぐの、あやふやな記憶で、発言してしまったという理由ならば、嘘ではないと理解もできます。しかし、被告は 4 ヶ月以上たってから、『青信号』を確認したとはっきり言ったのです。
今もなお、その発言に嘘がないと言うのならば、被告は仕方がなく『赤信号』と認めたのでしょうか。それとも、冤罪だと思っているのでしょうか?
被告は直接有希を轢いていないため、運が悪かったと思っているように感じられます。
何故そこまで『青信号』で入ったことに、嘘はないと言い続けるのでしょうか。
やはり赤信号で入った理由がはっきりできない、携帯電話の使用や、事故前に購入したパンをあけようとしていた、わき見運転など、『何か』があると疑ってしまいます。
いずれの原因にせよ、被告が『赤信号』で侵入しなければ、大地さんの速度がどうであれ、衝突することもありませんでしたし、有希の命が奪われる事もありませんでした。
このように、控訴審決定後の、被告の取り繕うような行動に、私たちの苦しみは増幅しました。
そんな私たちの思いと重なるように、近隣住民の間に「あれだけ大きな事故で、交通刑務所に入っていないの?」といった、驚きの声が届くようになりました。
事故現場は、小中学校の通学路でもあり、学童保育の子供たちも通る場所です。ですから、その後の被告に対しての、住民の関心度も、高かったのだと思います。
私たちは事故直後、被告に対して、憎しみの感情はありませんでした。むしろ、地獄の苦しみに、いるであろう被告に、それ以上の追い討ちをかけたくはない、とさえ思っていたのです。しかし、被告の行動は、ベンツの購入や、青信号の主張など、私たちの思いとは、まったく、相反するものでした。
一つの命を奪った謝罪や反省は、その事実を、受け止める行為から、始まるものだと思います。被告に、復讐したいという気持ちではなく、ただ、事実を真摯に受け止めてほしいと思っています。若い被告の将来を考えればなおの事、守られた環境の中で、偽善的なボランティアをすることより、たとえわずかな期間でも、実刑により、静かに一人で考える事のできる環境が、必要であると思います。
そんな思いから、署名運動を決断しましたが、その選択は、私達にとって、辛く苦しくもありました。しかし、多くの方々から支援の声が寄せられたこともあり、実刑を求める、運動を始めました。
街頭署名などの手段はとらず、口から口へと伝えられました。事故および、事故後の経緯、内容に賛同した上で、署名していただくようにと動いてきました。
有希の一周忌の翌日、有希の偲ぶ会を執り行いました。 120 名ほどの、有希の友人、知人、が集まってくれました。
その場から署名活動をスタートしましたが、思わぬ広がりがあり、現在ここに67,313 名の署名が集まりました。また、手元に届けられた多くの署名の中には、多くのメッセージがともに添えられていました。
自分自身の安全運転への再確認の言葉、一番多くは、被告が実刑を受けないでいることへの、憤り、慰め、励ましの言葉でした。
そのメッセージがここに 141 通あります。多くの方々の支えに感謝しております。
最後に、被告に対して、伝えたいと思います。
控訴審が決まってから、来るようになった、月一度のお参りも、 10 月の月命日には、なんの音沙汰もありませんでした。何故なのだろうと、家内と話していたのですが、先日の裁判で、毎回のお参りや、献花や、事故現場での合掌を、詳細に書かれた書類が、提出されていることを知りました。その書類の末尾に 10 月 5 日現在と書かれていることを聞き、納得できました。
もう、先月の月命日のお参りは、裁判に、反映されることが無いので、被告にとっては、必要がなかったのです。
そう理解できた瞬間、何度、信じようとしても、裏切りつづける、被告の行動や、痛む心を必死に抑えながら、訪問してくる事に承諾していたことが、あまりにも哀しく思えました。
たった、 2 分ほどしか有希の前には座りません。お経を挙げるわけでもありません。当然です。情状酌量の書類として提出するための行動なのですから。
もう二度と、遺族感情や、痛む心を抑えてまで、寛大な気持ちで被告の訪問を受け入れる気持ちはありません。
このような被告の事故後の行動に目を向けてください。遺族の声に耳を傾けてください。交通ルールを守っていた、何の落ち度もない娘の、命の重みにあった刑であるよう切にお願い申し上げます。
公平公正の元、実刑罰に処していただくよう、心よりお願い申し上ます。
亡き、娘、有希への思いをはせながら、父親の役割として、意見陳述させていただきました。
ありがとうございました。