永遠の愛〜有希とともに〜

裁判について刑事裁判

意見陳述(第一審)

意見陳述書

平成18年5月25日 名古屋地方裁判所 裁判官殿

佐藤逸代

被害者、佐藤有希の遺族として、意見を陳述させていただきます。

私たちの次女、有希は大きなけがや病気をする事も無く、心身ともに健やかに成長していました。新しく迎えた中学校生活に戸惑ったりしながらも、感動という喜びに変え、生き生きと生活をしていました。ソフトテニス部に在籍し、必ずレギュラーになるのだという目標を立て取り組んでいました。

事故に遭った日も、一年生は自由参加だという試合の見学でしたが、目標実現のためにと、あえて早起きをして出かけていったのです。そんな娘と変わり果てた姿で、無言の対面をする事になろうとは想像すら出来ませんでした。

有希は本当に素直なやさしい思いやりのある、いつも笑っている娘でした。近所の人や、子供達の親御さんからも「有希ちゃんはいつもニコニコしているね」とよく言われました。

私たちは、有希の笑顔や、やさしい言葉掛け、思いやり深い行動に癒されてきました。有希は人を癒す役割を持ってこの世に生を受けたのだと思っていました。

将来はその癒しを生かした仕事に就くのだろうと、楽しみにしていました。そんな有希の将来も、夢も、一瞬にして全て失ってしまいした。有希からの癒しを感じることは無くなり、変わりに、絶望感、喪失感、脱力感、が襲ってきたのです。

生活は一変しました。精神的にも肉体的にも侵されていきました。

言葉にならぬ苦しみや辛さは、何をしても癒えることはありません。全ては一時凌ぎにしかならず、有希のいない悲しみからは逃れる事は出来ません。空虚さが喪失感となり襲ってきます。毎日がその繰り返しです。

「ああ、また有希の居ない一日が始まるのだ。あの日から続いている現実なのだ。」と思うのです。その絶望の目覚めから、輝きのある一日に持っていく努力をするのです。それは遺された人たちのため、自分のため、愛する有希のために努力をする決意をしたのです。それが、どれほど辛く、苦しく、努力がいるのか、どれほど困難な事なのか、同じ立場でないと決して分からないと思います。

数週間前に泣きじゃくる有希を、ぎゅっと抱きしめている夢を見ました。

幼いころの有希は自分を抑えて我慢する傾向にありました。時々、抱きしめて「たまにはわがままだと思うぐらい自分の気持ちをぶつけてもいいのだよ。どんな有希でもママが受け止めてあげるから。」と言ってきました。有希は決まって嬉しそうな顔をして、ぎゅっとしがみついてきました。

あの日、夢の中での有希はその時と同じぬくもりがしました。はっきりと私の身体に有希の温かさと重みが残っていました。私は泣いていましたが、夢の中での再会が幸せでした。ですがそれは、ほんのつかの間の幸せでした。

現実にはどこを探しても有希の肉体は目の前に無く、有希のぬくもりにも、優しさにも触れる事ができないのです。夢で感じた幸せの何倍もの悲しみが、波のように押し寄せてきました。

有希がいつも側にいるような気がするけれど、現実にはどこを探してもいない。何ヶ月たっても何年たっても、このちぐはぐな苦しく辛い痛みは変わらないでしょう。

他人は私達を見て、立ち直っているように見えたり、落ち着きをとりもどしてきているように感じたりするようです。確かに、必死に努力をしています。

ですが決して、有希がいた幸せな家族の日常は戻ってはきません。以前のように何をしていても幸せであると感謝していた日々には戻ってきません。

哀しみを感じないように、感情に蓋をして努力しているのです。元気と心からは言えません。本当の意味での、落ち着くことも、立ち直ることもあり得ません。

11ヶ月経った今でも、毎朝、私と主人は有希の前で泣いてしまいます。小さくなった骨壷にそっと触れ、写真の中でしか微笑まない有希に口づけします。硬く冷たい感触しか残らない辛い毎朝の行為です。悲しみは日々深くなっていくばかりです。

また、毎晩、店の営業を終え家路に着く事も辛くなりました。以前は、家で待つ娘達を思うと疲れた身体も軽くなりました。窓からやさしく「お帰り」と言ってくれていた有希の部屋に、電気がつくことはありません。足取りは重く、涙があふれます。そんな毎日の悲しみを少しでも癒すため、現実を支えるため、有希の面影を追い、五人で過ごした日々を思い起こします。

部屋のいたるところで有希の生前の姿があり、遺され面影にほんの一瞬、優しい気持ちになります。しかしいつもその後はやりきれない気持ちで一杯になります。

また、有希を喪ってからの年間行事や、四季の移り変わりはとても辛いものになりました。あの日までは、家族五人、至福の時を刻んでいました。今は、その時を感じることがあまりにも残酷です。そして、姉妹を突然喪った二人の娘達にも大きな心の障害が残っていくのでしょう。

いつも有希と一緒にいて、双子のようだと言われ育ってきた末娘のショックは非常に大きく、夏休みが終わっても、しばらくは学校にも行けない日が続きました。

そんな孫娘を心配した祖父母が、毎週末、娘を迎えに来てくれました。ひとつ違いのいとこ達と過ごす事でなんとか乗り切ってきました。

また、夏休みから本格的に受験勉強するのだと言っていた長女は、精神的にも重圧のかかる時期に、自分のことより家族のことを支えようと必死に悲しみを封印し、前向きにけなげに努力しくれました。そんな二人の様子を分かってはいても、心身ともに余裕の無かった私は母親として何もしてやれませんでした。

三姉妹は本当に仲がよく、協力し合って家事をこなし、しっかりと生活ができていました。誇りの持てる娘達でした。姉妹のバランスを大きく崩した二人の娘が、有希を喪ったショックから、真に立ち直る事は無いでしょう。

まだ十代の幼い、多感なときに、とてつもなく大きな悲しみを背負ったのです。その痛みを背追ったまま、今後の人生を生きていかなければならないのです。母親として、娘達の心を思うとき、いたたまれない気持ちになります。

どんな形でもいい、生きていて欲しかった。ほんの少しの時間でもいい、息のある娘に会いたかった。せめて、私のこの胸に抱きしめ、手を握りながら、名前を呼んで送ってあげたかった。母親として、たった一人で逝かせてしまったことを自分の罪と捕らえて生きています。この苦しみから解き放たれる事はないでしょう。

正直なところ、私達家族はみな、今でも有希がいないことを、現実として受け止めきれてはいません。だからこそ、生きていられるのかもしれません。

いつか「ただいま」と笑顔で帰ってきてくれるような気がします。夢の中でもいい、逢いたい。抱きしめたい。頬ずりしたい。帰ってきて・・・何ヶ月たとうと何年たとうと、私達が生きている限りこのせつなる思いは変わりません。

このような私達遺された家族の苦悩の日々を、被告はどこまでわかっているのでしょうか?いえ、理解しようと努力していたのでしょうか?

最後まで守ってあげられなかった親としては、せめて何故有希が命を落とさなければならなかったのか、その真実のみをしりたいと思っていました。

しかし、たったひとつのその思いも、被告の不誠実極まりない行動により、打ち砕かれたと言わざるを得ません。

最初から、事故の加害者に対して、憎んだりうらんだりする気持ちはありませんでした。周りの人たちから「人が良すぎるよ」と言われたほどでした。

初めて被告の理不尽な行動に苦しんだのは、葬儀後、両親とともに手紙を持って家に来た時です。下を向いたままの被告に変わり、父親が被告の書いた手紙を差し出し、有希に読んでやって欲しいと言ったのです。何故、私が被告の代行をしなければならないのでしょうか?生きる力を失い、やっとのことで起き上がってきた私に、それを読む精神力も体力もありませんでした。被告の行動をどのように解釈すればよかったのでしょうか。心は震えるように痛く、結局、手紙は持って帰ってもらいましたが、不服そうに顔を上に向けている被告の母親の姿に、よりいっそう私の心は乱れました。

被告らからは、反省や謝罪ではなく「運が悪かっただけ。私達も被害者」といった思いが伝わってきました。

私達は被告の訪問を断る事は一度もしませんでした。しかし、被告の父親から、四十九日にお花をお供えしたいという電話があった時、以前頂いたお花をどうしても有希の前まで持って行く事ができない経緯がありましたので、「お気持ちがあれば事故現場へ持っていってあげてください」と伝えました。その言葉をどのように受け取ったのかわかりませんが、その後、一ヶ月以上経って、月命日や100か日を迎えても、お焼香に訪れることはありませんでした。

真実を知ることが親に出来る最後の役割だと思っても、被告からの連絡もなく、事故の経緯や情報を得る手段はありませんでした。辛く苦しく、悶々とした時間を過ごさなければなりませんでした。

決してこちらから会いたいとは思いませんでしたが、いつまでもはっきりしない事態に、主人が業を煮やし被告の家に電話を入れました。しかし、「娘が青だと言っている以上、私が赤だとはいえないので、調査しています」と被告の父親の言葉が返って来ただけで、被告が電話口に出る事もありませんでした。その後、再びなんの連絡もなく、さらに苦しい日々を過ごさなければなりませんでした。

一ヶ月ほどして、二度目に連絡したときも、被告が電話に出る事なく、前述のように父親が待ってくれという対応だけでした。

散々、私達を待たせていた中での被告の行為、不誠実さが覿面に現れたのは、近隣住民でさえ不快感を覚えた新たなベンツの購入という行動です。

少しずつ、被告に対する不信感が募り初めていた私も、一台車があって、まさか二台目を事故車の変わりに、買うようなことは出来ないと思っていました。真実を確かめるために陸運局まで行き、手にした書類に眼を落とした時には、あまりの衝撃に言葉も出ませんでした。ベンツを、しかも、有希の四十九日前に購入しているではありませんか。愕然としました。

不眠症に悩まされたとか、自殺を考えていたとか、そんな言葉を被告や被告の父親に聞かされても、いつもその車のことが頭に浮かんでいました。どちらが、赤信号なのかがはっきりしたわけでもないのに、事故後一ヶ月経つか経たないうちに、購入しようとする行動に出ていたのです。

全く信じられない行動をとるものだと、有希が不憫で、本当に辛く、口惜しかった。唯一、救いになったことは、近隣住民が自分のことのように感情的になり「ビラを印刷して配ろうか」などと被告一家を責めたことです。そのおかげで、逆に冷静でいられることが出来ました。誰しもが理不尽だと思っていてくれることに救われ、落ち着ける事が出来たのです。

しかし、その後も度々耳にする、笑って家族で出かけているよ。とか、もう一人の人のほうが赤だと思っていたよ。だって楽しそうに新しい車で外出して行くよ。などという被告一家の日常の様子は、私には聞くに堪えがたいものでした。その上、被告からは調査結果の報告も、経過の連絡すらもなかったのです。

やっと調査が済んだので会えると連絡があったのは事故から3ヵ月以上も過ぎた10月末でした。長い間、苦悩の日々を過ごしていた私達にとって、11月1日に会った被告の言動は、無常にも、さらに私達を苦しみへと落とし入れるものでした。

被告に一番聞きたかった、当日の行動と、交差点内へ侵入するときの様子を尋ねました。被告は終始一貫して同じことを答えました。「あの交差点はよく通るので、仕組みは知っていました。手前の信号機と302の信号機が15秒ほどで変わるのを知っていたので、ブレーキに足をかけながら徐行して進みました。302の信号機5メートル程手前で青信号に変わったのを確認して、アクセルに足をかけて発進しました。」何度尋ねてもはっきりと答えました。また、調査の結果は、歩行者信号が青になったので有希たちは横断歩道を渡り始めていたところではねられたという結果であるといわれました。少し早めに横断歩道に出ていたような言われ方をしました。ただ信号待ちをしていただけの、なんの落ち度も無い有希を、冒涜されているように思え、全身の血が逆流するような感じがしました。

あまりにも理不尽に言い放たれる言葉と必死に戦いながら、話が矛盾すると感じられ部分を被告に確かめました。

被告本人が主張する運転の様子は、十分に注意をはかり交差点内に入ったと理解できます。広い見通しの良い交差点であれば、なおのこと、当然、四人いた歩行者の姿を捉えることが出来るはずです。しかし、被告は歩行者も、対向車の有無も「わかりません。見ていません」と言いました。はっきりと青信号を主張する言動とは明らかに違い、下を向いてつぶやくように答えました。その様子に、さっき言った信号の事は嘘だと確信しました。自分で作り上げた虚偽を、あたかも事実として伝えている被告の言動は、あまりに空しく、当然、赤信号を認め、謝罪に訪れるのであろうと思っていた私たちには、信じられませんでした。何ヶ月も待っていた私たちのその日のショックは深く、私はその後、頭痛が収まらず心療内科へ行き、数日寝込む事になりました。

私達は、辛い思いを持ちながらも、何度も何度も現場に足を運びました。被告の主張する方法での運転も数十回と繰り返しました。その結果、歩行者の四人が目に入らないわけが無いと確信しました。

結局、被告の行動は、自分の不確定な想いには目を向けることなく、自分が『青』であるという偽りを、自己保身のためだけに、惜しまず努力しつづけたと言わざるを得ません。その行為に私達は耐えがたい苦悩の日々を過ごしているのです。

被告は何故最初に正直に素直に話をしてくれなかったのでしょうか。自分が『赤』だったようだと曖昧な電話があったのは、事故後6ヶ月がたった日でした。その日は、有希の月命日でした。やっとお焼香に来てくれるのかと思いました。ところが、有希のことには一切触れず、突然電話での曖昧な報告でした。それも検察庁で目撃者の有無を知り、状況証拠から言って自分が『赤』である事を認めざるを得ないと分かったからだったようです。真摯に受け止めている様子は全く感じられませんでした。詳しく話を聞きたかった私達は、二日後に家に来ていただきました。

私は被告に「あれだけはっきりと『青』だと言い切っていたのに今ごろ何の話なのでしょうか?虚偽を働いていたということでしょうか。」と尋ねました。被告や被告の父親は、「そんなつもりは無かった」と言う言葉を何度も繰り返しました。そんなつもりは無かったという言葉ほど無責任で独り善がりなものはないと私は思います。

そんなつもりはなかったと言ってひとつの大切な命を奪い、そんなつもりはなかったと言い、虚偽を働き、遺族を多重の苦しみに追いやったのです。つもりがあろうと無かろうと、全ては被告の行動によりおきた、偽らざる事実です。

結局、被告は『青』で入ったと言い切れる確信は無く、ずっと不安があったと、初めて正直に吐露したのは、曖昧な被告の行動に、私が何ども質問を繰り返したからです。

ですが、残念ことに私が『赤』でした。虚偽を働きました。すみませんでした。と言うはっきりとした謝罪の言葉は未だに、被告からはありません。

人はいくら取り繕った言葉を発しようと、思いは伝わるものです。真の謝罪は何度も言葉にしなくとも伝わるものだと思っています。残念ながら被告からは、運が悪かった、私も被害者だという思いが、相変わらず伝わってきます。

もうひとつ残念に思うことがあります。

それは、被告が自分の過ちをすぐに認めなかったばかりに送検が遅れ、その結果、真実を知る手がかりをひとつ失ったと思っていることです。

被告の通りなれた見通しのいい交差点で、赤信号無視をしたのですから、その原因は必ずあるはずです。虚偽を働いてまで強く『青』だと言い切らなければならない、何か重大なことを隠しているのではないかと疑ったのです。私達は携帯電話使用を疑いました。ですがすでに、使用明細保持期間は過ぎており、確かめるすべはありませんでした。

被告の事実を捻じ曲げようとする言動や、事故後の被告家族のあまりに迅速な現場到着に、携帯電話使用の疑いを払拭することはできません。

赤信号で進入した本当の原因を被告の口から、正直に伝えてほしいと今でもせつに願っています。

私達は、被告に対して、交通事故を起こした加害者への感情と言うよりも、事故後に起こしているさまざま行動を、人の道として許す事が出来なくなったのです。

人を憎んだり恨んだりしても、そこからは何も生まれてはきません。気持ちの優しかった有希が、望む事でもない。私達は事故自体をそのように捕らえていたのです。

実際、警察の遺族聴取も一度目は、私達も運転する身ですのでといった寛容な内容の発言をしました。しかし、被告のあまりに不誠実な数々の行動に、私達の気持ちは変わり、厳罰に処して欲しいといった内容に調書を作成しなおしてもらったのです。

もし、被告が、始めから真実を語っていてくれたならば、もし始めから自己保身ではなく、被害者、被害者家族にたいしての思いからの行動であったならば、そう思うと本当に残念でなりません。

被告の父親は、私達に何度も言いました。「娘は四年間安全運転でした」と。それが何だと言うのでしょうか?実際には、たった四年で一つの命を奪い、一人の少女に心と身体に大きな傷を与え、多くの被害者を生み出した事実があります。

毎日ハンドルを握って約25年間、無事故無違反で過ごしている私にとって、被告の父親の言う言葉はまったく理解できませんでした。

また、もう一人の運転手、Tさんも心に傷を負っています。初めて被告と同じように連絡したとき、Tさんは一週間後にすぐに会ってくれました。

そして、佐藤さんの近くに住む資格はありません。引っ越そうと考えています。車もずっととは約束できないかもしれませんが、今はもう乗る気はありません。一週間後に納車予定の車もキャンセルしました。と言われました。

有希のことを尋ねると、身体がぶるぶると震えだし、呼吸も荒くなり、顔色は真っ青になっていきました。Tさんは、事故の衝撃を身体で覚えている。そう感じました。そしてその衝撃と、心の痛みは簡単には忘れることはないと思いました。

正直に話してくれる姿に「引っ越すなんて考えないで、一人息子さんのことを一番に考えてあげて下さい」と伝えました。もちろん、今でも、もう少しスピードを抑えてくれていたらという無念さは残ります。

そして、ご本人の意思により被害者とは認識されていませんが、一人の主婦の方と、その娘さんも軽症を負っています。主婦の方は、未だに心にも大きな痛みを持ったままです。旦那様の話では、娘さんが猪高中学校でソフトテニス部在籍の卒業生だったこともあり、有希のことがオーバーラップしているそうです。「私も単身赴任、娘も親元を離れているので、名古屋で一人の妻は、外出することも出来なくなってしまいました。妻が心配です」と話されました。被告は、このような事実を認識しているのでしょうか?

心に深い傷を負っているのは、被害者やその肉親だけではありません。有希のお友達も、一人で眠れなくなった。急に話をしなくなった。部屋の電気を消せなくなった。など、何人ものお友達の様子をそのお母さんがたから聞きました。どれほど多くのお友達がショックを受け、心を傷めていたのかと思うと、虚偽を働き続けた、被告の不誠実な行為は絶対に許すことはできません。

事故後、有希や夏実ちゃんの救護にも携わらず、遠巻きに眺めていたと言いました。何よりも先に親に連絡をしています。

仮通夜の日に訪れた被告は父親がすみませんと言うだけで、被告自身は一言も声を発しませんでした。それどころか、私の妹が有希の顔をしっかり見て下さい。と言っても顔を上げようともしませんでした。被告は一度も有希の死に顔すら見ていないのです。 

被告のその様子を見ていた誰もが、被告は青信号の運転者だと思ったのです。そう思わせるほど、被告はどこか人事なのです。事故の衝撃も車同士の衝突の感覚しか残っていないのでしょう。現実味として、ひとつも命を奪った実感が無いのでしょう。

それらが大きな理由でしょうか、被告は、償いの意味さえはきちがえていると言えます。前回の公判での被告や、被告の父親の言葉は、しっくりこないことばかりでした。

有希や、私たち家族への謝罪をおざなりにしたまま、社会貢献のため、自分が出来ることと称して、取りあえずボランティアを始めたといいました。

何に対しての『とりあえず』なのでしょうか?遺族への謝罪もしないまま、ボランティアをはじめる事自体、軽減のためのパフォーマンスとして捕らえる事しかできません。寄付や無料奉仕をそのための道具にして欲しくありません。

ボランティア、いわゆる無料奉仕の意味を取り違えているにもはなはだしく、まったく残念で溜まりませんでした。

私もボランティアの体験をし、勉強もさせていただきました。奉仕とは、分かち合うことです。あくまでも奉仕を受け取る側、与える側ではなく、50%50%の関係なのです。補うことに意味があるのだと思っています。

被告の気持ちが、自己保身のためだけだとは思いたくはありませんが、情状酌量のため、刑を軽減する為、自分の気持ちを軽くするためであるのだとしたら、真剣にボランティアに携わる人たちや、ボランティアを必要としている人たちにも失礼きわまりない話です。残念でたまりません。

また、今回の事故を真摯に受け止めているとは思えない被告が、子供の命を守る交通整理をしていることを知りました。私達母親は何回も学区の旗当番を体験しますが、大変気を使います。謝罪を済ませてもいない被告が、その仕事を選んだこと自体、信じられませんでした。

社会貢献、社会復帰とはそれほど甘いものではないと私達は身をもって感じています。私は事故後、大きなショックにより腰を痛めて動けなくなりました。結局、一ヶ月半ほどお店を閉めていました。このままお店を閉めてしまってもかまわないと思うほどに気持ちは落ち込んでいました。また、接客が好きだった有希が、一週間前に笑顔で働いていた姿が思い出され、よりいっそう店へ行く気にはなれませんでした。

朝から晩まで働き、9年間苦労を重ねて営業してきました。愛着もあり誇りもあるお店です。だからこそ、お店を再開するには、相当の覚悟が必要でした。

悲しみに暮れた、中途半端な思いからお店の再開は出来ない。お客様の前で涙をこぼすわけには行きません。今までと変わらぬ笑顔でお迎えする覚悟をしなければなりませんでした。自分と自分で誓いを立てお店を再開したのです。

被告のように真っ先にしなければならない謝罪を後回しにし、いったい何が伝わるのでしょうか。全ては、自己保身のみに尽力した、パフォーマンスに過ぎなかったのだと言えます。

前回の公判で車を処分したと知りました。しかし、今更全ての車を処分したと言われても、刑の軽減のための策略としか思えません。私達が、ベンツ購入の不快感を口にしたのは11月1日、被告が青信号を言い張ったときの事です。本当に反省をして、遺族のことを思って処分するのであるのならば、何故その後すぐにしなかったのでしょうか。生命保険会社や弁護士からの連絡も、被告からの手紙も、車の処分も、ボランティアも寄付も全て、公判になることが決まってから、数ヶ月たった年が明けてからの行動です。

弁護士からの手紙などは、和解を急ぐためのものとしか受け取れませんでした。事故後8ヶ月もたってから、紙切れ一枚に何事もないように、娘の命の値段を並べていたのです。誠意のかけらもありません。切なくて苦しくて思わず、クシャクシャに丸めていました。

それら、今までの行動、言動を踏まえて、私達は被告のどこに、真の誠意、謝罪を感じる事が出来るのでしょうか。全ては自分の罪を軽くするための行為なのです。

子供を思う親の気持ちは一緒だと思います。娘を守りたいという、被告の両親の思いが理解できないわけではありません。しかし、どんな理由であれ、一人の大切な命を奪った事実は変わりません。であるならば、「青だと思った」と言う、青の部分に固執するのではなく、だと思ったという不安定な部分を掘り下げ、現実を真摯に受け止め、今もっともすべき事は何であるかを、同じ親として適切な助言、指導するべきではなかったかと思います。

保険会社や弁護士のうがった助言により、被告が真の謝罪を述べずに来たとしたら、まったく愚かな行為と言えます。被告の大人になりきれない思考に加え、被告の周りに、的確な助言が出来る大人がいなかったと理解しなければならないことが残念です。

前回の公判でも、情状酌量を求める嘆願書を提出していた驚愕の事実を知りました。虚偽を働きつづけ、月命日に線香の一本をあげることなく過ごし、何をどのように捕らえての情状酌量なのでしょうか。被告は元職場に感謝していると発言しました。遺族を前にして、嘆願書提出に感謝などとよく平気で言えるものだと呆れ果てました。

そして同じように、行政処分に異議申し立てをしていた事を知りました。遺族感情を無視した、不道理な行動をとるものだと、強い憤りを感じました。

また、前回、この場所で、弁護士から「被告から遺族への謝罪を」と言う話がありました。裁判官から「ここはそういう場所ではないので」との助言がありましたが、裁判官のその言葉を被告はどのように捕らえていたのでしょうか?傍聴を終えた私達遺族を被告と被告家族は待ち構え、出入口で誰かれかまわず頭を下げでいました。私はとても不快でしたので、わざと回避して被告の前を通りませんでした。その場に居合わせた親族もみな、不快な思いをしたようでした。

しかし、まだ私達は被告に対して望みを持っていました。被告が現実を受け止め「有希さんへ謝罪のお焼香をさせてください。虚偽を働いた謝罪に伺いたい。」と連絡があると思い、待っていたのです。

ところが、4月17日の月命日にも5月17日の月命日にも連絡はありませんでした。何故、公判の時についでのように、形だけの謝罪をするのでしょうか?被告と私達の家は歩いても数分の場所です。事故現場へ花を手向けに行くよりも時間がかかりません。本当に謝罪する気持ちがあれば、すぐにでもこられる場所です。

前回の尋問で検察官から、「本当だったら謝罪の方が先だし、一番身近にある方法じゃないんですか。」との問いに被告は「はいそう思います。」と答えているにもかかわらず、お焼香どころか、電話さえもなかったのです。

被告は反省のパフォーマンスとして安易な行動のみを選択しているとしか思えません。有希の前で謝罪することが真の謝罪ではないのでしょうか。被告の公判後の行動も、情状酌量のパフォーマンスであったことが、見事に証明されたのだと思っています。

いつまでたっても、真摯に現実を受け止める事は無く、まったく人事で、運が悪かったと言う思いなのです。永久に同じことの繰り返しです。

たとえ過失という言葉で片付けたとしても、ひとつの尊い命を奪った事実は罪です。罪を犯した、犯罪には変わりありません。事故に居合わせた全ての人、その人を取り巻く人々の人生を狂わせた罪もあるのです。現実から逃げるのではなく、事実を捻じ曲げるのではなく、真摯に受け止めて欲しいと思います。

ですが、先にも述べたように、被告を必死に守ろうとする今の環境のなかでは、とうてい正しい判断は無理であると、簡単に想像できます。

被告には、ひとりで冷静に自分を見つめ、現実をしっかりと受け止める事のできる、環境と時間が必要だと思います。それには、実刑判決により、交通刑務所での生活が必須の条件であると考えます。

生活が守られ、保証された中での寄付やボランティアではなく、本当の意味での無料奉仕や寄付が出来るのも、刑を終えた後でしかないと信じています。

そして、親離れした、自立した一人の女性として、真の謝罪の言葉が、有希のもとに届けられる事を願ってやみません。

今は二度とハンドルを握らないと言っている被告も、いずれ結婚をして子供をもうけ、車社会の利便性により運転の必要が迫られたとしても不思議ではありません。この事故の重大さや、現実を受け止めきっていない被告が絶対に運転をしないという保証はありません。一度も逮捕も拘留もされていない被告です。今回の刑が軽いようであれば、被告の認識はさらに甘いものになることは容易に想像できます。第二の被害者、被害者遺族を生み出だす危惧を否めません。

交通事故は人事ではありません。現在の交通事故司法の甘さは、運転者のモラルの低下につながっていると思います。明日、愛する人を交通事故により奪われる。明日はわが身なのかもしれないのです。誰にも起こりうることなのです。ですが、もう誰にも、愛する人との突然の別れ、辛く悲しい思いを背負ってほしくはないのです。

そのためにも被告にはたとえ数ヶ月でも交通刑務所での実際の生活が必要であると思っています。

禁固刑が下されても執行猶予がつくようなことがあれば、結果的には何も変わりません。それでは、有希の存在、死の意味までなくなってしまうのです。

実刑五年の刑をお願いもうし上げます。

過去の司法結果になぞられるのではなく、本件の事故、また被告の行動をふまえての判断をお願い申し上げます。加害者天国日本などと言う言葉は本来司法としては恥ずべき事ではないかと思います。

絶対に執行猶予などをつけないで下さい。

被告にとっても、有希にとっても、私達遺族にとっても、本日多数傍聴してくださっている近隣住民や、生前の有希を知る知人にとっても、意義のある司法結果である事をせつに望んでいます。

長期にわたる公判となりましたが、普通の生活では、体験することのないことばかりでした。無知ゆえ不適切な言動もあったかと思います。この場を借りてお詫びするともに、遺族の話に耳を傾けてくださった副検事、検事の方々、ならびにこのような意見陳述の時間を作って下さった裁判官にも深く感謝申し上げます。

最後になりましたが、去年有希が私に贈ってくれた手紙の言葉を伝えようと思います。母の日のメッセージでした。それが愛娘からの最後のラブレターです。

『ママ、生んでくれてありがとう。』

どうぞ、この言葉の意味の重みを皆様の心にとめてください。

『生まれてきてくれてありがとう。パパとママを選んでくれてありがとう。』そう答えてきた私は、今、有希になんと伝えたらよいのでしょうか。無念です。

以上で私の意見陳述とさせていただきます。ありがとうございました。